推しと推しカプと勝利したい話
「あんさんぶるスターズ!」というゲームを知っているだろうか
※カップリングの話とライハ組に対して嫌な言い方をしてるかも知れません。
このゲームはイベントやガチャの予告がくるとなにかとトレンド入りするなど大人気だ。
私はこのあんスタを初期からやっていた。
一応事前登録もしていた
だが正確に言うと2015年9月のイベント「反逆!王の騎行」通称ジャッジメントと呼ばれるものから真剣にやり始めた。
それよりも前は別ジャンルの推しの中の人が担当するキャラクターが好きだな~たぶん、推しじゃない??といった緩い感覚でしかゲームを楽しんでなかった。
ストーリーを全部回収するのも怪しいぐらいでアクティブユーザーには含まれない程度だった。
やってないイベントもあった、ゲームのイラストは好きだけど推しがいまいち確定しない……
そして秋、あんスタに新キャラクターが実装されることになった。
Knightsの長らく不在だったリーダー月永レオだ。
月永レオは中の人が好きで、その人が演じてる、なら久しぶりにあんスタ復帰しよう!!
と軽い気持ちで私は久しぶりにアプリを開いた。
わたしはその時点で推せそうなキャラがいた。
朱桜司だ、今の推しだ。
顔が好き、お坊ちゃま、一人称が私。
だったり自分の好きな属性が詰まっていた。
話し始めると長くなるので簡単に書こう。
そのジャッジメントはそんなまだまだユニットの新参者な司と久しぶりに帰ってきたリーダー、王様の喧嘩の話だ。
ストーリーは本当に本当に面白くて最高だった
そして私はこのレオと司の二人の関係性に落ちたのだ。
ちょろい、太陽と月、光と闇のような対称的な関係性に弱いのだ。
あんスタにはイベントとスカウト、所謂ガチャの2種類がある。
そしてカードのレア度は☆1~☆5まで。
イベントもスカウトも☆3からカードがある。
有難いことにカードは1枚だけで変身、このゲームでは開花というが絵柄を変えることが出来た。
そして何枚か重ねるとカードのステータスをあげることが出来た。
司が推しとなった自分は彼がスカウトやイベントに来る度に喜び、カードを必死にゲットしようとした。
☆3は比較的簡単に手に入れることが出来る、スカウトでも排出確率は高い。
☆4から上、高レアのカードはイベントではそこそこのポイントが必要だし、スカウトも排出率は低くなる。
私はあるスカウトでそんな排出率に初めて苦しまされる。
スカウト!冬の初詣
☆5は明星スバル、作品の1番の主人公だ。
カードもとってもキラキラしていてうわぁ、キラキラだと思った。
そして☆4が朱桜司。
スカウトでは恒常のカードを除くと彼の☆4はこれが初めてだった。
私はスカウトが始まり日付が変わると同時にSkypeを繋げながらガチャを回した。
結果は☆5がきたのだ。それ以外は特攻の☆3が何枚か。
推しは出なかった、☆4だよ、☆4なのに……
それからそのスカウト期間にもう一度10連をしてなんとかそのカードは手に入れることが出来た。
大切な思い出のカードだ、未だにその時以外に来てないから数は重ねられていない。
それから色々あった、彼のジャッジメント以来の☆5イベントでは、2枚取りしたくて走った。
2枚取りのボーダー順位より8位低くて悔しかったが2枚取りできなかった。私はこのイベントで初めてダイヤが足りなくなり課金をした。
彼の初めてのスカウト☆5も手に入れるのに苦労した。
そのスカウト期間中に40連は回したが来ず、復刻のスカウトも何度か行い、通算100連目で来た。
とことん推しのカード運がない。
実習中にKnightsの箱イベが来た。スタフェスと呼ばれる今でもボーダーが高いと言われているイベントだ。
司はランボではなかった、しかも☆4だった。
普通に彼を1枚取るだけなら余裕でできたし、でも、箱イベが嬉しかったし、ストーリーがとても良くて走った。
朝から夕方まで実習を行い帰って記録を右手で書きながら左手でタップを続ける地獄のような生活だった。
実習はまだ軽めではあったがそれでも初めての実習でとてもとても辛かった、でも楽しかったのだ、推しに自分の時間と少しのお金を使って全力で愛を注ぐことは。
ジャッジメントの司の話をしよう。
私があんスタを始めるきっかけとなったこのイベント、実はカードを所持していなかった。
その時はまだゲームも始めたばっかりでカードも弱くて、イベントの走り方も分からなくてやっとの思いでストーリーを全部回収した。
あんスタにはイベントの復刻というものがあった。
11日間のイベントとイベントの間の休憩期間である3日間の間にイベントの復刻に参加することが出来た。
全部で15日間復刻期間は設けられている、いくらポイントを稼いでも15日を過ぎるとポイントは0になってしまう。
あんスタ!復刻やりまーーす!!と公式が告知をした時に私は絶対司を手に入れようと誓った。
司はランボだった、だから稼がなくてはいけないポイントはその当時のボーダーだった460万点よりも上なのは覚悟していた。
記念すべき復刻された初めてのイベントのランボボーダーは380万点だった。
まあ、それよりは点は稼がなくては……とは思っていた。
私はジャッジメントの復刻開始の日に倒れた。
倒れたというと誇張表現になるが、アレルギーのアナフィラキシーになった。
病院に運ばれ死にそうな思いで点滴を打ってもらい助かったが、復刻開始の時間は意識が朦朧としていた。
症状も収まり、病院で会計をしてもらってる間に私は
「そうだ、あんスタ……」
とまだ震える手で慌ててアプリを開き、復刻の点数を確認した。
910万点
910万点????
あ、わたしまだ意識がだめなんだわと現実逃避をするかのようにもう一度見たが点数は変わらなかった。
あのボーダー高いイベントスタフェスで死にそうな思いをしながら走っていたときも611万点しか行かなかったのだ
あーーーーーーーもうやるしかない!!
わたしはイベント参加分の石を15個払ってイベントを走り始めた。
復刻は全15日間だが、3日間×5回なので永遠と走り続けてる訳では無い。
まあでもその復刻期間中に推しイベントがきて結果としてはずっと走っていた。
そして無事彼のカードをゲットした。
生々しい話になるが私はこの司を手に入れるために3万円使った。
アルバイトはしているが他のものにもちょこちょことお金を使っているオタクが3万円を出すのは辛かった、3万円あったら何が出来る??円盤リレーもう1回はできたね。
でも後悔なんてなかったしとても嬉しい気持ちでいっぱいだった。
私はすぐさま彼を開花させて、その時のポイボのレオと並べてスクショを撮りまくった、えへへ、推しカプ……
私はわりと固定の腐女子だった、逆はほぼ見ないしそして相手違いもあまり好んでは見ない。
レオと関係性が深いキャラクターに1人外せない人がいる。
所謂私の推しカプから見ると相手違いだ、嫌いじゃない嫌いじゃないし見るよ、見る。
2人の関係性は好きだったがそれが恋愛、カップリングとして発展すると……ね、みたいな感じだ。
推しカプが正義!!そうです、だって私は面倒くさい腐女子
この2人、恐らく公式ライターが好きな2人なんだと思う。
だってこの2人だけの書き下ろしの話がノベルのおまけになってたり、この2人の書き下ろしのタペストリーが売られたり。
嫉妬だ
レオが登場したイベントで対となった司に私は落ちた。
対と言っても背中合わせとかそういうのじゃなくて向き合って対となるような関係性だった。
背中合わせはもう1人の方だった、同じ学年だし、親友だし、親友だし、不器用で伝わらない相思相愛だった。
私はそんな2人が好きだし、好きだよ、でも
光として登場した司が蚊帳の外にされるのが気に食わなかった、本当に面倒くさい。
今年度行われたイベントではもう今までにないほどにその2人が取り上げられた、どちらもランボ。おそろいだね、わかるよわかる。
レオは物語の関係上秋からしか登場しない、そして3年生の為すぐに卒業してしまう。
推しカプが同じ空間に入れるのはたった半年もないのだ。
だから悲しかった、本当に面倒くさいけど一緒にいられる、この2人の絡みを関係性を公式から与えられる材料がほとんどなかった。
そのイベント、司は司でまあ☆3だった。
でもランボだったから最終日までは会えないし、レオともう一人のカードも絵柄が良い、悔しいが良かったから走った。
今のあんスタはアクティブユーザーが増えたからか、ポイボ完凸の550万点に1000点を足した550万1000点でランボ☆5を1枚取れることになっている、私は550万1000点を越した瞬間石を砕くのを辞めた。
☆3の完凸ボーダーは☆5ランボ1枚ボーダーと同じ11000位だった。
その時の司は死神モチーフの衣装で鎌を持っていてめちゃくちゃ性癖に刺さって絶対完凸する~!!!
とか思っていたが、私はなんのために、どのふたりのために走っているのか分からなくなって辞めた。
長々と話しているがやっぱり推しカプが……言い方が悪いが勝つのがいいのだ。
勝つって表現、あんまり良くないけど、公式からもこの2人がペアとして完成形ですとアンサーを提示されるのが私の中の勝つだ。
このままでは負ける、相手に負ける。
公式はそうか、最終的にはやっぱりあっちが正解で司はあくまでレオを無理やり光の元へと連れた人となってしまうんだな。
返礼祭、私が今走っているイベントだ。
年度末の最後に後輩が先輩に今までありがとうございました、と感謝をしめすユニット内のラストライブの恒例のイベントだ。
今年は1年前から予想はしていたがKnightsだった。
私はずっと石を貯めていた、絶対返礼祭はジャッジメントのアンサー、レオと司のW☆5で揃えて大勝利するのだと信じていた。
イベント予告の日研修から帰宅し、洗濯物も入れ、全ての準備を済ませ私は恐る恐るTwitterを開いた。
まあ開く前にLINEで何人からか「生きて」と来ていたので予想はついていたがレオと司のW☆5だった。
そして普通のイベントでは☆4は2枚しかないのだが今回は特別、☆4が残りのKnightsメンバー3人分あった。
あぁ、私はこの11日間を走るためにあんすたに司に出会ったのだと思った。
この11日間、1日は無理だったが研修の休みを勝ち取った。
走るためだ、ひたすら課金をし、石を砕きコースを周回し、ライブを叩いてポイントを稼いでランボ☆5を完凸するためだ。
ランボ完凸ボーダーは2000位だ。
あんすたのアクティブユーザーはだいたい20万人だ、そのうちのたった2000人だけが完凸できる。
司はポイボだった、レオがランボだ。
どちらがランボでも完凸するつもりではいたけど。
あんスタの中でKnightsは恐らく1番の人気ユニットだ。
単純に金が取れる、あとレオはその中でも1番の人気だ恐らく。
ボーダーは荒れた、荒れている。今もイベント中だから。
日付が変わると毎日ボーダーを過去のイベントと合わせてグラフにしてくれるアカウントがある。
最近のイベントの中でもう群を抜いて高いし、今までの高いボーダーと比べても比べ物にならないぐらい高いのだ。
えげつない課金額になった。
そして課金をしただけではポイントはもらえない、その課金をした分の石を砕いて砕いてポイントを稼いぐのだ。
1位などランカーと比べると10分の1しかポイントは稼げていないがとにかく辛い、私はこのために時間だけは確保したが辛い、辛いよ。
毎日220万点、ポイボ司2枚分(通称2司)を取ってやっと安心出来る600位ぐらいに入れる。
社会人はどうやって走っているのだろう。今後社会人となった私は推しイベを走れるのだろうか……
でもまあ550万1000点を取ろうと思うだけなら2日走り続ければいいことが分かったから今後もあんスタは続ける。
カードは完凸(5枚取り)をすると今後カードをゲットしてもポイントになってしまう、愛しい愛しいカッコイイ最高のカード司を私はもう7枚はポイントにしてしまった。
本当になんのために走っているのだろう。
イベントストーリーは前代未聞の3分割で配信されることになった。
初日には最初の5話しか配信されなかった、ストーリーを読んだらなぜかみんなフィレンツェにいたし、なぜか3年同士は同棲秒読みみたいな解釈してもおかしくないようなあれだった。
でも司が初めてレオのことを名前で読んだ、それだけではい推しカプ結婚した、結婚しました!!と笑顔で石を割り続けた。
そして2分割目が昨日公開された
ジャッジメントのアンサーだった。
ジャッジメントはレオが司に吹っかけた喧嘩だった。
今回、レクイエムはわざとメンバーに酷いことを言い挑発し、それをちゃんと意味があると分かった上で司から喧嘩を決戦を仕掛けたのだ。
対称的、どうみてもアンサー
前は何もわからず分かろうともしなかった司が全て分かった上で決戦を申し込んだ、アンサーだ。
2分割目はそこで終わった、3分割目はイベント最終日の15時に公開される。
う、運営鬼畜~!!!
でも
もうなんのために走っているかわからないなんて言わない、先の読めない結末がわからない。
それでも笑顔が約束された結末なのはわかる。
推しカプがちゃんと報われるのかはわからない、でも私はアンサーが見たかった、それだけで十分だった。
アンサーが答えが返礼が約束された残りのストーリー、最終日私は笑ってありがとうと読めるだろうか。
長くなってしまった、そろそろ石砕きに戻らねば。
ボーダーは生き物油断なんて出来ない。そのために私はお金と時間と大きな愛を持って走っているのだ。
サボテンと運転その2
研修が始まり忙しくなり、こうやって文字を打つのもかなり久しぶりだ。
Twitterやソシャゲは出来ても、自分の思ってることをこうやって文にして打っていくのは結構大変だ。
でも頑張るぞ、こうやって今文字を打っているだけでもだいぶえらいぞ、自分を褒めていこう。
車校の話に戻ろう、仮免許を取得すると公道を走る練習が始まる。
まずは車校から公道に出るところから始まる。そこでまず躓いた。
通っていた車校はまずT字路で最初に右折か左折をしなくてはならない。
そしてミラーも見づらかった。
ミラーが上手く見えるまで前に出るのも感覚がわからなかったから、そこじゃミラー見えないでしょ、出過ぎ!!車が通れないとしょっちゅう注意をされた。
この時点でだいぶめげていた。
いざ公道に出たとしたら、自分でルートを決めて目的地に着くという練習が待っていた。
私は記憶力が悪い、覚える要領がとても悪い。
何個目の信号で曲がる、信号の名前を覚える、曲がるのは右か左か……
それを必死にブツブツと呟きながらハンドルを握っていた。今思うと教官はとても私のことを不気味がってたと思う。
こうやって必死に呟いていてもミスる、普通に通り過ぎたり手前で曲がってしまう。
そうすると教官が間違ってるよと指摘をしてくれる。
私はパニックになる。
え、じゃあどうしたらいい……
頭が真っ白になって信号は守れるが左折や右折での歩行者に対しての意識がほぼゼロになるので、私がパニック状態になると必ず端に寄せてハザードをたいて一旦休憩になった。
右と左が私は時々分からなくなる
特に運転していたら本当に右折左折が分からなくなる。
1度運転中に救急車が接近してきたことがあった。
ピーポーピーポーと音がする
どっちだ
前からきた
なら寄らなくてもいいな
「左に曲がります」
左……左ならこっちを横切るし止まらないと……
救急車は私の方から見て右側に曲がって行った。
思考が停止した
なんで救急車はあっちに曲がって行ったんだ……?
冷静に考えて救急車側から見た左折は私の方から見て右側に曲がることだ。
だから止まる必要は決してない
でもその時の私はとにかく曲がってくると思い慣れない寄せて止まったのだ、そうしたら右側に曲がって行ったのだ。
思考が停止して5秒ぐらい固まっていた、教官も何故私が止まったのか分からなくて止まっていた
そうしたら後ろからクラクションを鳴らされ慌てて発進した。
向いてない
心の底から思った、運転向いていない。
技術どうこうの問題じゃない。
私はパニックを起こすと思考がフリーズしてしまうのだ。
外は危ない、外に出たら危ない。
とにかくせめて、車校内で練習したい。
そう思っていたらちょうど次の実技からはまた車校内の練習に戻った。
ほっとしていたがそこで私は1番苦手なものにぶち当たる。
駐車だ、バック駐車
S字で車がいまどの辺りにいるか分からない、だから脱輪する
そう言っていた人間はまあ、感覚が掴めていない駐車も破滅的に出来なかった。
ぶつかりそうなのかぶつからないのかも分からないし、どれくらいアクセルを踏めばどれくらい進むのかもわからなかったからしょっちゅうポールにぶつけた。
そして私は極端だった。
右に寄りすぎだから左!もっと左!!
と言われれば今度は左に行き過ぎて
寄りすぎ!!極端!!本当に極端だね!!
と何度も言われた。
自分が一番極端なのは分かっていたから
わかってるよーーでもどうしたらいいのかわかんないんだよーーー!!!!と心の中で叫んでいた
車校の講習が終わる度にハンコを押される台紙がある
めちゃくちゃいっぱい押すところあるなーーと最初の私は思っていた
駐車の練習をしている時には台紙の最後の欄までハンコが押された。
え?これこの後どうなるの??と心配していたら次から紙に印刷されたものが上から貼り付けてあった。
「この紙になる人見たの10年振りだよ~もうちょっと頑張ろうね~www」
と教官に失笑されてあ、はい、頑張ります~と苦笑いすることしか出来なかった。
そうこうしているうちに、仮免許を取得してから半年近くが経った、免許をとるタイムリミットが近づいてきた。
夏休みの間に免許を取るつもりだった。
でも仮免許を取得できたのはもう夏休みが終わった秋の事だった。
授業もバイトも何かしら忙しかったので車校に行くのも間隔がだいぶ空いていた。
1週間に1回しか行けてないことも多々あった。
せっかく技術が1歩進んだ!と思ったら間があくのでまた元通り、プラマイゼロ、むしろマイな状態だった。
本免を取るための見極め試験も挑戦はしていたがいつもバッグ駐車で失敗して、また次頑張ろうね~と苦笑いされていた。
普通の人は見極め試験は1回か2回でクリアするらしい、友人はみんなそうだった。
私が見極め試験を合格したのは10回目だった
時間がなかったのとお情けで貰えた合格だと思った。
実技が認められれば次は本免を取るための筆記試験だ。
もうここで落ちたら本当に仮免期間が終わるので死にものぐるいで勉強した。
車校で貰ったプリントと免許を取るための専用勉強サイトでひたすらマルバツ問題を解いていた。
なんとか100問中98問は正解するようになった。
本免試験は96点だった。
合格!!これで合格だ!!!
やったーーー!!!!
運転免許はこれからは身分証明書だね☆
と、もう絶対運転しないと決めていた。
でもまあ、第一志望の自転車圏内の就職先が落ち、車で10分ぐらいのところに就職先が決まった。
頑張れば自転車で40分で着く
でも毎日雨の日も漕ぐのは嫌だ
私は白旗を上げて車通勤することを決意した。
車は女性に人気のラパンにした中古だ、でも傷はほとんどなかった。ありがとう前のオーナー
ナンバーは自分で決めて良かったので推しカプの数字にした
助手席にすみっコぐらしのぬいぐるみを乗せて、写真をバシバシ撮って
「あ、なんか運転出来そうな気がする」
と思ったりもした。
そんな上手くいくわけないよね~!!!!
最初は家の周りの田舎道をぐるぐる回ることから始めた。
隣には親を乗せた。
時速どれぐらいで曲がれば安全にいけるかも感覚が掴めていなかったからノロノロと5キロぐらいで走っていた。
ブレーキをかけながら左折しようとした。
その時は時速は0キロになっていたから車は動かなかったし、隣からスピード出さんと車動かんし曲がれんよ!!と言われて慌ててアクセルを踏んだ
めちゃくちゃ前に進んで死ぬほどびっくりした。
その日はそれがとても怖くて半泣きで自宅まで戻ってきて、駐車も出来るはずなく親にやってもらった。
3日ぐらいはその状態が進んだ。
それから毎日練習を続けて1人で近くのショッピングモールまで運転した。
駐車で5分ほどかかったがそれ以外は安全に運転できた。
家族も友達もいないショッピングモールで1人なのが違和感か凄くて虚無になって、コージーコーナーでおやつを買ってその日は帰った、滞在時間5分。
それからは家族を乗せてレストランに行ったり、妹の送り迎えを担当したり、少し遠目の大型ショッピングモールまで車で運転するようになった。
まだまだ駐車は何回も切り返さなくてはいけないがだいぶ上達してきた。
そして今私は毎日研修先まで自分の車で運転している。
次の目標は県をこえること、高速道路に乗ることだ。
最終的にレンタカーでフォロワーを乗せて危なげなく推しの聖地を車で自由に巡礼することが目標だ。
継続は力なり、数をこなす。
よく聞く言葉だが今回で改めて経験値を貯めることは大切だと分かった。
上達したり出来るようになるまでの努力は大変だし、辛いけど
出来た時の達成感はそれ以外では味わえない、だから何事もコツコツ継続!!
サボテンと運転その1
三日坊主を卒業したので毎日ブログを更新することは無くなったが、ちょこちょこと書いては下書きに保存している。
文字を打つのが楽しくなってきた。
日課になりつつある。
三日坊主は飽き性ではあるが、習慣づくとルーティーンとして組み込まれて活動するのが苦ではなくなる。
さて、今日はなんの話をしようかな。
私にはある程度仲良くなった人に必ずしている失敗エピソードが何個かある。
持久走の授業でぎっくり腰になって友人に担いで運ばれたこともある。
なんというか私は基本的にどんくさいのだ。
そんな私のどんくささが一番憎かったのは車運転だ。
田舎住まいなので車はまあ必要だと思っていた。
あとみんな免許取ってたし。
私は二年前の夏、市内の車校に通い始めた。
色々な手続きをして車校の人に授業のスケジュールを組んでもらった。
始まったのは7月だった、10月頃には卒業出来る予定だった。
先に結論だけ言おう。
私が車校を卒業出来たのは2月だった。
しかも仮免許の期限が切れる3日前と、本当に本当にギリギリだったのだ。
車校は大学の前期のテスト週間が終わりがけ、夏休みに入る頃からスタートした。
まず、基本中の基本の知識、それから車校の狭い教室で運転シミュレーションを行った。
座学はそこまで問題ではなかった。
そうなると次は運転だ。
講師に案内され今日使う車に乗り込んだ。
まずは出発前点検だ、よし、よし、全部使えるぞ!!
次は座席の調節だ。
うーーん、ちょっと足が届くのがギリギリだ……
私は身長が低い、そして足も短い。
そうなるとまあ届かないよね!!と自分の中では思ってた、予想はしていた。
隣の教官に
「そんなにシート前だと狭くない??」
と聞かれて
「あっ、これでも完璧には届いてないので……」
と返すと苦笑いされたのを今でも覚えている。
まずは車校内のコースをグルグルと走る練習だった。
最初の内は5キロぐらいしか出せなかった。
「速度表示見て!!30キロだよ!!もっと踏んで!!」
「むっ、無理ですこわいです!!」
私は運転が破滅的に苦手だった。
あと恐怖心が強い。
所謂ビビりだ。
とにかく新しい事に挑戦するのが苦手だった。
初めての運転は半泣きだった。
何回目かになるとその恐怖心もだんだんと小さくなって30キロはビビりながらも出せるようになった。
さあ次はなんだ、何で躓くかな。
運転はずっと直線ではいけない、どこかで曲がらないといけない。
左折はまあ、そこそこはいけた。
教官に
「あんたそんな風じゃ後ろからくるバイクひくからね」
とは言われたが。
問題は"右折だ"
道路には右折の流れのような線が書いてある、めちゃくちゃざっくりだ。
ざっくりすぎて当時の私はまったく参考に出来なかった。
今なら分かるがあの線は本当にざっくりという流れだけでこの線を完璧になぞるように走れという意味ではないのはわかる。
でもその時の私はとにかく完璧になぞらなくては死ぬ、事故ると思い込んでしまうぐらいだった。
いっそのこと車道にレールが敷かれてその上を走らせてくれと思ったぐらいだ。
右折の話はここで置いとこう。
まず公道に出る前に本当に本当に躓いてしまったのは
S字だった。
クランクという90度90度で角度を変えて走るのはまだ、なんとかなんとかいけた。
しょっちゅう脱輪したしポールにぶつかったけど。
S字はレールというものは敷かれていたが緩やかにカーブするという、私が1番苦手な事だった。
苦手な人はコースで2回ぐらい脱輪するらしいが、私は6回以上脱輪していた。
角度を変える度に脱輪をするものだから隣の教官は呆れて、ドア開けて外降りろ。まだこんなに空間が空いてる。スペースのなんとなくの把握も分からない??
としょっちゅう怒られた。
私は怒られることが嫌いだ、1番嫌い。
だからなるべく人を怒らせないように生きてきたつもりではあるがめちゃくちゃに怒られた。
あれは指導のつもりだったんだろうが、私はとにかく怖かった。
スペースのなんとなくの把握もできない、何を言ってるのかも分からなかったが、そんなこと言ったら今度はもっと酷いことを言われそうでちいさく
「なんとなくは……はい」
と答えた。
見えないタイヤの位置を車校通いたてで理解しろというのが正直無理だろと思った。
でも同じ時期に入った生徒はもうみんな公道に出ていた。
S字の練習をしだしてから、運転の授業が始まる音楽が流れるとため息をついたし手足が震えたし、半泣き状態になってしまった。
それでもまあ、なんとか、ほんとうになんとか、多分これ以上の時間をやっていたら卒業が危ういのか仮免の試験を受けれる試験を合格させてくれた。
仮免の試験では脱輪はしなかった。
私は本番に強いタイプだった。
やったーーー!!!!と油断していたらまさかの筆記で落ちたので調子に乗るのは辞めようと本当に思った。
仮免を取得すると公道に出ることが出来る。
次はそんな公道での運転について話していきたいと思う。
少し書くのをサボると一気に書けなくなっちゃうなぁ………
推しカプに救われた話
今日ビッグサイトで行われた同人イベントに参加してきた。
参加というのは一般という意味ではなくサークル側でという方だ。
そこで推しカプの本を1冊とアクリルキーホルダーを頒布した。
私はそんな推しカプの絵描きというやつだ。
そんな絵描きと言えるほど大層なものでは無いし、本なんて出せるようなレベルではないし、漫画なんて普段かかないし、でもでも、本を出すなら漫画がいい……じゃあ、まぁ頑張りますか!!
と言うぐらいでしか漫画も描かない。
私の今の自ジャンルは正直マイナーぎみだ。
あと界隈が、狭い。
だからこそこのジャンルを布教するぞ!!このカプを布教するぞ!!!
とみんな積極的というか本当に本当に愛を込めて作品や呟きをしている。
私もそのうちの1人だ。
私の推しカプは部活物の1年生×3年生だ。
そしてこのジャンルはキャラソンも出るし、デュエットソングも存在する。
後輩は親友とデュエットを歌い、先輩は同級生の悪友とデュエットを歌っていた。
公式的にはここがカプというかセットなんだと思う。
でも私はこの後輩と先輩にハマった。
公式で憧れの描写があったり、空気椅子をしたりと美味しいシーンが色々とあるが本当に"関係性"にやられたのだ。
私は毎日毎日寝る前に推しカプを検索して、そして自分自体も一枚絵や、妄想文などをツイートしていた。
それだけでも充分、充分に楽しかった。
ここで推しジャンルのオンリーが開催されることが決定した。
スケジュール帳と睨めっこして私はオンリーにサークル参加する事を決意した。
自分で推しカプの本が出したい、推しカプの数を増やしたい、サークル参加して一般参加の人よりもはやく入場したい。
理由は色々あるがとにかくサークル参加を決意したのだ。
サークル参加するためにはまず申し込みの段階で何を頒布するか入力しなくてはならない。
そこで私は新刊2冊とアクキーと入力した。
結果として当日新刊は1冊になった。
原稿作業は9月の時点でコマ割りまで済ませていた、正直いいペースで進んでいた。
だいぶ急ぎの作業になるが2冊目も何とかいけそう!!
と思っていた年始
私はインフルエンザになったのだ
インフルエンザ、まず学校にもアルバイトにも行けないしそして、私は予防摂取をしていなかったのだ。
すごい熱が出た、42度も出た。本当に、まじで死ぬかと思った。
熱が出たのは最初の3日でそこから先は休み休みながらもパソコンと睨めっこしていた。
2冊目は諦めた。
代わりにアクキーを制作することにした。
私の前からのジャンルのフォロワーはよくアクキーを出していた。
とってもとーーっても可愛かったしセンスが良かった。
私と彼女の推しカプは違っていたがとにかく彼女の描くSDキャラが好きで、今までに出したアクキーは全て持っている。
私も少なからずアクキー作ってみたいなぁ……という気持ちはあった。なかなか実行しなかったが。
話はずれたが当日のオンリーのお話をしようと思う。
朝フォロワーと合流してビッグサイトへと向かった。
私と彼女は1つスペースを挟んで、隣だった。
同じカップリングだからね
まず同じカップリングの方と一緒に行動できるのが本当に有難かったし嬉しかった
スペースに着いてからは、布を敷いたり設営をしたり、隣の方に挨拶をしたりと忙しかった。
これでサークル参加をしっかりとするのは4度目になるが、設営は慣れない。
あーー、値札こうすればよかったーー!!レイアウトださくない!?ここはこうしようよーー!!次からはこうする!!
とまだ今回も始まってないのにもう次のことを考えてた。
10時
オンリー開始と共に会場は拍手に包まれて、少しすると一般参加の方が入場してきた。
今回部数は内緒だが、ありがたいことに刷った新刊が完売した、ありがとうございました!!
と共に
もう、あと10部刷っとけば~!!と後悔もした
多く刷りすぎるとジャンルが変わると家に在庫が残るし、少なめに刷ると欲しい人に届かない。
さじ加減が本当に難しい………
私は素直にスペースに来た方に
「今回本当にカプの需要というか数が読めなくて……」
と言うと
「需要めちゃくちゃあるに決まってるじゃないですか!!!!」
と言ってくれた。
たとえお世辞だったとしてもその一言が本当に本当に嬉しかった。
スペースには色んな方が来てくださった。
同じカプの相互さん
攻めの相手違いの相互さん
私をフォローしてくださってる人
サンプルを見て、初めて私を知った人
前のジャンルで仲良くしてくださった人
本当に本当にありがとうございます!!!
前のジャンルの方は恐らく今の推しカプのことをあまり分からないのに新刊を買ってくださった。
「前々からずっとトリさんの描かれる本が欲しかったんです!!」
本当に本当に嬉しかった
本当に本当に嬉しいしか言えてないけど、嬉しい。
とにかく驚きとかほかの感情を超えて嬉しいのだ。
撤収してからは同じカプのフォロワー2人と居酒屋でアフターをした。
私は絵描き。相手2人は文字書きで、1人は一般参加だった。
まず
「お疲れ様でした!!」
と乾杯をしてアフターは始まった。
推しカプの話をしたり、お互いのかかれて作品について話し合ったりと楽しい話ばかりした。
どういうタイミングだったかは忘れてしまったが私は
「本当に辛い時とか悲しい、苦しい時に推しカプの作品を読んで、笑顔になって元気を貰ってるんです」
と少し半泣きになりながら言った。お酒が入っていたから自信はない。
でも本当に自分は苦しい時、辛い時に色んな方がかかれた推しカプを見て元気をもらったし
彼らのモチーフの色が隣に並んでるだけで笑顔になったり
推しカプに支えられている。
そして恥ずかしながら自分で描いたものにも支えられている。
わかる!この解釈!!この表情!!自分好きだわ、だって自分で描いたもんね!!
と色々と少ないながらも同人活動をしてきた中で、こんなにも素直に自分の描いたものに萌えれたことは無かった。
それはこの今のカプに辿り着くまでに自分なりに絵の練習、漫画の練習をしたり、色々な経験を積んできたからだと思う。
だから前好きだった、もちろん今も好きだけどあまり描かなくなってしまったカプに自分が出会えて、少なからず絵や文章を書いたことも全く無駄ではないと思っている。
色んなカプにハマってきたからこそいまこのカプでこんなにも幸せに萌えて楽しめている。
そして今日、そんな推しカプのアンソロジーが発行されることが決定した。
嬉しい以外の気持ちがない
本当に
ただただ嬉しい
私も主催の方がこの推しカプのアンソロジーを発行しようと決意するまでの萌えの材料に少しでも参加出来たことが嬉しい。
好きで描いてる、もちろん、好きで描いてる。
でもやっぱり認めて欲しいこともある。
だから、自分が頑張って描いてきたことは無駄じゃなかった、このカプを好きでよかったと本当に心の底から思った。
明日からはまた日常に戻る。
実はこうやって文字を打っているが明日は大学最後のテストだったりもする。
でもなによりも本当にこの嬉しい気持ちを共有したかった。
今日ばっかりは自慢になる、自慢させてくれ
推しカプのアンソロジーの発行が決まったの!!!!
自分自体も参加したいし、これからもTwitterでカプを愛でていきたいし、そして
もっともっとちゃんと勉強して、自分が本当に表現したい、理想のわたしの推しカプの同人誌を作れるようにこれからも頑張っていきたい
同人は自分の好きなものを好きなタイミングですることだと私は思っている。
でもいまが本当にその好きなタイミング
毎日がタイミング
少しでも時間が開けば2人について考える、それがとっても幸せ!!!!ハッピー!!!!!
サボテンとデパコス
四日目だ
正確には1日休んじゃったけど、無理してやることじゃない。
好きな時に好きなことを、長続きのコツ。
好きなアプリのキャラクターもこういっている
だから
三日坊主は過ぎたぞ、三日坊主卒業だ。
よかったね、これで好きなお話できるよ。
前の記事で書いたJILLSTUARTとの出会いのお話をしようと思う。
これだけジルジル言ってるが初めてのデパコスはJILLSTUARTではなかった。ANNA SUIだ。
ANNA SUI、ホームページを見るだけで色が濃く、大人の色っぽいブランドだと思った。
一生自分は手なんか出せないだろう
貰い物だった、妹からの
自分はこれだけ喪女やらサボテンやら言っているが妹は真逆だった
妹は中高一貫校に通っている受験生だ
そんな彼女が1年前に修学旅行で行ったハワイの免税店で買ってきたのだ。
ちなみに中三で行ったニュージーランドでの語学研修のお土産ではキウイという鳥の鳴くぬいぐるみを買ってきたのだ、二年ですっかりと妹は大人びてしまった。
私はそのグロスをちょっとしたお出かけや遠征時に使っていた、でも正直ベタベタ感に慣れなかったのと匂い、というか味が気になって今はドレッサーにしまっている。ごめんよ。
そして一年前から私はあるコンテンツにハマっている。
ASMRだ。
いわゆる音フェチ動画と言われるもので、声優が使われているシチュエーションCDとは違う。
有名なもので物を食べる音だったり、タッピング、耳かきの音を聞いて癒されていた。
そしてそのASMRを投稿しているYouTuberのことを好きになった。
ここまで書いたら分かるかもしれないが、JILLSTUARTはその人がタッピングで使っていまコスメだった。
持っているコスメを使ってタッピングという企画でCANMAKEなどプチプラやCHANELやらDiorも使われていたが、私はその中のJILLSTUARTに引かれたのだ。
キラキラとした、ラメが沢山着いた、リップに鏡がついたもの
忘れかけていたサボテンのちょっとした乙女心をくすぐられた
それから私はジルのホームページを見てみた、値段は高いとは感じたが、思ったより高くはなかった。
オタクに使っている何かを我慢すれば買えるという考えまでになった。
でもよくいう百貨店のカウンターに行く様な勇気も格好もないし、通販でわざわざ頼むような……
結局その日はこういう世界があるんだな、私にはまだ早いとパソコンを閉じた。
私はしばらく妹の誕生日プレゼントを何にするか迷っていた。
ちなみに一年前はコピックのセットをプレゼントした。
妹は母にシャボン系の香水が欲しいと言っていた、すっかりお洒落を気にする女子だった。
私はもう一度ジルのホームページを開いてコスメと睨めっこしていた。
私にはセンスがない、似合っているかという判別がつかない。
だから色を見ただけでは彼女に似合うのかは全く想像も出来なかった。
結果としてプレゼントはハンドクリームにした。
お値段もお手頃だったし当たり外れがないからだ。
数日後、家にはJILLSTUARTと書かれた真っ白い箱が届いた、ときめきが止まらなかった。
開けてみると包まれたハンドクリームとショップバックが入っていた
かわいい、かわいい、使ってみたい
いやいや、これは妹のためのプレゼント
妹はとてもとても喜んでくれた、かわいい、かわいいと言ってくれたし何より
「お姉ちゃんがこんなかわいいもの買ってくるなんて……!!」
と成長を喜ぶ姉のように喜んでくれた。
そして何ヶ月か経って私の誕生日になった。
我が家は誕生日は日付が変わるとおめでとうと言葉と共にプレゼントを渡すのが習慣になっていた。
母からは持ち運べるドレッサーを貰った、妹からはJILLSTUARTのリップブロッサムという口紅を貰った。
真夜中だったが貰いたてのリップを塗ってはしゃいだ
母も妹も、後で見せた父も似合ってると言ってくれてとても嬉しかった。
そこからブランド物に対するハードルがだんだんと落ちてきた。
美容会ではクリスマスコフレが話題に上がる季節になった。
私は当日のJILLSTUARTのクリスマスコフレのサイトにちょっとの期待をもってネット予約が開始されるのを待った。
時刻になって予約サイトに進むと画面が動かなくなってしまった。
こ、これは先着順チケット戦争だ……
私は1度だけ防衛部のライブに先行で落ち、一般先着
で挑んだことがある。
負けたのだ、負けた。
同じようにあーーこれは負けるわ、そんなね、こんなお洒落のおの字もない娘が手に入れるよりはかわいいかわいいお姉さんが手に入れた方がいいもんな!!
でもやっぱりちょっとというかだいぶ悔しかったから数時間後にもう一度サイトを見た。奇跡的に繋がった。そのままクレジットカードを用意して見事私は初めてのクリスマスコフレ、2018年のJILLSTUARTを手に入れたのだ。
数日後にまた真っ白い箱が届いた。
わくわくしながら箱を開けると真っ白いポーチと様々なコスメが入っていた。
かわいい、めちゃくちゃかわいい
自分は決してジルが似合うようなふわふわとした可愛い女の子ではないが手に入れただけでなんだか少しだけ可愛くなれた気がした。
初めてそのコフレを使って化粧したのは防衛部のライブの時だ。
昔は夜行バスユーザーだったが最近は新幹線を使うようになった。新幹線のお話もしたい、まだまだブログやめられないね
顔がいつもよりキラキラしてるように見えた。
アイシャドウはブラウン系のものだったがラメがキラキラと入っていて瞼に乗せるだけでどきどきした。
初めて、お化粧をする楽しみを味わえたような気がした。
楽しいじゃん、お化粧
毎日完璧にするのは大変だし面倒くさいかもしれないけど
自分が楽しみにしているところにいつもより着飾って、お化粧して出かけるの、楽しいじゃん
サボテンと初めての化粧
ブログを始めて三日目、今日でやっと三日坊主と言える日になった。
前の記事で書いた通り、コンタクトをし始めた時には少し化粧に対しての意識があった。
今日はそんな私なりの今の化粧にたどり着くまでを書きたいと思う。
最初に始めたのは口紅だった
幸い自分の唇は色が濃い方で、口紅を塗らなくてもそこそこの色は付いている方ではあった。
次は眉毛だ
これはコンプレックスの一つであるが私はストレスが溜まると髪の毛が抜けやすかった
今思えば寝ている時に無意識で毟っていたかもしれない、それは眉毛も例外ではなく薄いのだ。
つい最近初めて美容雑誌というものに手を出した。
眉毛ブラシが付録で付いてくるものだった。
特集は眉毛で、「ゲジまゆさん」「うすまゆさん」といったタイプによっての化粧も載っていた。
自分は間違いなく うすまゆ だろうとワクワクしながらページを開いた。
結果としては自分は恐らく穴抜け眉毛なのだと思う。
抜けている部分が集中していて、眉毛のあたりを指先でなぞってみると素肌の感触がする所もある
私は眉毛の書き方を研究しようと思う。何事も勉強勉強
まずは付録に付いていたブラシを使う為にパウダータイプを買ってこなくては
自分はペンシル派だった
話は戻るがまずは眉毛と口紅だけ化粧をしてみた。
その日、アルバイト先でパートのおばさんに
「あら、口紅付けてみたの?」
と言われた。
そうなんですよー、ちょっと荒れてるのが治ってきたのでーー
と軽く返した。
その人は普段あまり自分とは話さない人で私自体もその人のことが少し苦手だった。
今までは、挨拶の習慣はあったので簡単な挨拶と仕事で必要なことしか話さなかった
その日の
口紅付けたの?
がその人との初めての世間話だった。
そんなの世間話じゃないじゃん
と思う人は思うだろうし自分の中の世間話の感覚は少しはズレているだろうとは思う。
そもそも自分は人と話す事が苦手だ。
もっと言うと人に興味が無い。
私のことを知っている人は割と
「お喋りでテンションが高くて笑い上戸」
という印象を抱いている人も多いと思う
お喋りは好きだ
でも人と話すことが苦手だ
自分とは話が合う人とのお喋りは好きだ
でも自分とは話が合わない人と話すことが苦手だ
だからその日一言でも自分とは話が合わない人と礼儀以外の会話が出来たのは自分にとって大きな成長だったのだ、自信に繋がった
そういうわけでだんだんと化粧に対するハードルというものが下がってきた。
次に調子に乗った私はアイシャドウとマスカラを買った。
CANMAKEのものだ。
CANMAKEはお財布にとても優しかった。
1000円未満で何かしらのものが買える。
似合うのか分からないがそこで私はCANMAKEの5色入ったアイシャドウを買った。
ピンク色のものだった、ピンクは好きだった。
サボテンにもかわいい色は憧れではあった。
周りのキラキラ女子はしゃねるやらでぉおーるやらのショップバックを持っていた
高いだろうなーとは思っていた、値段なんて調べたこと無かったけど。
自分がそういうお高い化粧品に手を出すことはないと思っていたから
ブランド物に本当に疎かった。
昔名古屋に出かけた時にDiorの看板を見て
「だいおー」
と読んで恥をかいたぐらいにはブランド物に疎かったのだ。
話を戻して家に帰って早速買ったもののパッケージを開けた、すごくどきどきした
裏にどこになにを付ければいいのかが書いてあったのでその通りに付けてみた。
似合っていたのかは全くわからなかったが
何だか大人っぽくなった!!
とその時の私は思って満足したのだ。
自分の大人っぽいという規準は一体なんなのだろう。
後々にアイシャドウはブラウン系を使うのが正解!!という広告を見て、今は使いやすいブラウン系のちふれとエクセルのアイシャドウを使っている。
眉毛ペンシルは頭にペン、お尻の方にスクリューブラシが付いていた。
当時の私はブラシの役割を知らずにペンシルだけ使っていた。
あのね、スクリューブラシは眉毛を整える為のものなんだよ、昔の私ちゃんと調べてよね
それからしばらく経ってビューラーとチークを購入した。
どちらもCANMAKEのものだ、CANMAKE様様だ
目に何かが近づいてくるのがとにかく苦手だった、だからビューラーはまず睫毛を挟むところで苦戦した。
自分なりのカールをして見たあと鏡を見てみるとほとんど変わらなかった、横から見ると少しカールしているのが分かるぐらい、右目は
左目は散々だった。
自分は右利きで感覚が掴めず結局左目はまあこれから頑張って上手くなろうねと放置した。
あのね、今は右は上手く上がるようになったの、でも左は相変わらずほとんど変わってないからね、練習だよ自分
そここら少しずつ、本当に少しずつ数ヶ月に1度化粧品を買うようになった。
進歩だ、これは本当に進歩だ。
「化粧品買うならそのお金でグッズ買うもん!!」
そういうオタクだったからだ。
3000円でも自分磨き(笑い)の為に使えたことは自分にとって進歩だ。
まず下地に手を出した、これもCANMAKE。
あとマスカラ、チークもCANMAKE
その時唯一ハイライターだけCEZANNEを使った。
私の5倍は人間な妹に薦められたからだ。
使いこなせなかったけど、今も使ってるけど使いこなせてないよ
そうして行くうちにフルメイクが出来るようなものだけは手に入った。
馬鹿野郎、そんなんじゃ、フルメイク出来へんわ!!
私はその後眉マスカラという存在を知るし、アイプチ、アイライナーも知る。
知らなければ自分の中では完璧だと思うし、その時の私はそれで満足していた。
さぁ、次はどうしようか、とりあえずこの化粧品がなくなったら新しく同じのを買えばいいか!!
私は新しいことを始めるのが苦手なタイプだった、
食べ物でも新発売のものには手を出さなかった。
31のアイスクリームも試食で食べた新発売のものではなくいつものクッキーアンドクリームを頼んだ。
ここでサボテンと人間になる為の化粧についてのお話その1は終わりだ。
その2は明日書こうと思う。
あるデパコスブランドとの出会いのお話をしたいと思う。
JILLSTUARTだ。
今日でブログは三日目だ。
三日坊主のあの三日だ。
そこを超えて明日は四日目だ。
そうしたらもう三日坊主じゃなくなるぞ、
好きなお話したいよね、自分、頑張って
明日お話できたら三日坊主は卒業だよ。
あしたのじぶん、がんばれ
サボテンとコンタクト
三日坊主、せめて三日までは足掻いてやろうと今日も文字を売ってみようと思う。継続は力なり
生まれてから大学2年生まで人間とは無縁の生活をしてきた、化粧をしようという気も無かった。
周りの同級生は大学に来るのでさえも髪を綺麗に巻いて、化粧もしっかりとして講義に必要な教科書も入らないような小さいブランド物のバッグを持ってきていた。
彼氏とデートの時はもっとお洒落な格好をするんだなと思った。
さて、ここで自分の周りの交友関係について書いておこうと思う。
類は友を呼ぶ、つまり自分の周りもいわゆる人間では無かった。
化粧はせず、ジーパン、大きいリュックに教科書を入れる、周りのキラキラ女子とは真逆だった。
周りが自分と同じだからとても心地が良かったし、危機感は全く無かったのだ。
そんな自分が危機感に襲われる時が来た。
成人式だ
成人式、一般的には女性は華やかな振袖を着て髪の毛を綺麗に巻いて、そして化粧も勿論する。
我が家は経済的にも家族仲的にもとても恵まれていて成人式に行かないという選択肢は全くなかった。
自分自体も成人式には行きたかった
これは機会があったら書こうと思うが昔自分はいじめられていた。
小学校の時だったがその時から太っていたし地味だったしなにより天然パーマが酷かったのだ。
自分のTwitterの名前はトリアタマと言う
散歩歩いたら忘れるトリアタマと言う意味もあるのだが、チリチリとした髪の毛、まるで鳥の巣、トリアタマと言ういじめられていた頃のあだ名の意味も実はある。
成人式は地元の人間が集まる。だから自分を昔虐めていた人にも会う可能性がある、嫌だ、絶対に嫌だ。
今では笑い話としていじめられていた話をしているが当時は味方なんて学校にはいなかったし、今でも言われた言葉、された暴力、悲しかったことを思い出しては心が痛くなる。
中学では心機一転しいじめられることもなくなっていた、だから私は中学の友達に会いに行くんだ。
そんな気持ちで成人式に参加することを決意した。
成人式は事前準備が必要になる。
着物を決めて、当日の着付け、美容院の予約、打ち合わせ。
私が危機を覚えたのは着物店での事前打ち合わせだ。
今でも覚えている。
担当者は聞いてきたのだ
「お嬢様はコンタクト等はお持ちですか?」
コンタクト、未知の世界だった。
名前だけは知っていた、目に異物を入れるという認識だった。
私は小学校6年生から眼鏡で生きてきた
今思えば人生で1度だけの晴れ舞台、最大に着飾るのは当然だった。
眼鏡で成人式に行った人には失礼になるが、眼鏡を外して目の周りの化粧もしっかりするのが当たり前だったのだ。
自分は未知のものに恐怖心がいつもあった、コンタクトも当然怖かったのだ
親もコンタクトをさせることを全く考えていなかった、今はだいぶ視力が下がっているから当日眼鏡を外して裸眼で挑むのは無理があった。
自分は降参するように
「当日はコンタクトにしてきます」
と店員に向かって言った。
親も眼鏡だった、昔はコンタクトをしていた時もあったがそれは20年も前だから周りにコンタクトの人間がいなかった。
コンタクトを付ける為にまずは眼科へ向かった。
そこで視力を改めて測り直して、コンタクトをつける練習をした。
「コンタクトを右の人差し指で取って、左の人差し指と中指で目を開かせて、入れてください。」
「左でさっきと同じように目を開かせて、右の親指と人差し指でコンタクトを摘むように取ってください。」
店員の言っていることは理解はできた、理解はできた。
でもいきなり目に何かを入れるのが本当に本当に怖かったのだ。
途中に諦めかけて半泣きの私に
「ここで出来なかったら家に帰っても出来るわけないでしょ」
と店員は言った。
最初の丁寧な対応から吐き捨てる様な言葉に変わった。
それもそうだ、私はコンタクトをなかなか付けられず半泣きで店の椅子に10分も座っている客になってしまったから。
そこから無理矢理、本当に無理矢理入れたくも、したくもないコンタクトを半泣きで入れて、取って、私は合格を貰えてワンデイのコンタクトを買って家に帰った。
10月末の事だった。
次の日、練習の為にもコンタクトを家でつけてみた。
同じく10分はかかってしまったが半泣きはしなかった。
でもその日は特になにも、本当になにも予定がなかった為無駄に良くなった視界は家の景色しか映さなかった。
それから一週間後に私はあるイベントに行った。
2016年11月6日 幕張イベントホール
美男高校地球防衛部LOVE!LOVE!LIVE!だ
美男高校地球防衛部は私のその時の自ジャンルだった。
防衛部のイベントは何度か東京に足を運んでいたが、ライブイベントは初めてだった。
声優さんが衣装を着てキャラクターのキャラソンを歌って躍るライブで、チケットが当選してからは毎日毎日その日を楽しみにしていた。
イベントには夜行バスで向かった。
そして朝東京に着いて、慣れていないコンタクトを苦戦しながらも入れ、始めたての化粧をして会場へ向かった。
コンタクトの方がメガネよりは度が高いので景色もいつもよりもはっきりと見えた。
なによりほんの少しでも、眼鏡が無いだけで自分の見た目が人間に近づいたのを感じていた。
少しだけ自信を持って歩けた気がした
イベントでライブを見れる他に、東京というキラキラとした都会を少しでも自信を持って歩けることが本当に嬉しかった。
イベントが開始されるまではお世話になっているフォロワーさんに挨拶をして回った。
いつもよりもちゃんと胸を張って綺麗なお姉様と話せている気がした。
そして終演後に3年前からTwitterでは繋がってはいたものの1度もあったことが無い人に会えた。
年下なのは知っていた、初めて会う彼女は関東の人でイベントにも慣れていて、身なりもきちんとしていた人だった。
私は歳を隠していなかったので彼女にもいくつかは知られていたと思う。
ねえ、会うのは初めてだったけど、いつもの眼鏡を外してコンタクトの私、年相応に見えたかな?